AIの記録と、AIの記憶


AIを、自分なりに育てたい

私が常々AIを使っていて感じることがあります。それは「自分なりのAIに育てたいな」という感覚です。

AIを一度ならず使ったことのある人なら、似たようなことを考えたことがあるのではないでしょうか。

この思いが強くなったきっかけは、先日のある出来事でした。仕事の延長で、ある企業(社名は伏せます)でAIセミナーをやることになったのです。

最初は、自分が使っているAIサービスや使い方を紹介する、軽い内容のつもりでした。ところが、これが思わぬ展開を迎えることになります。

AIをめぐる社内政治が、本音を後押しした

セミナーを実施しようとしたところ、まず企業の総務部から横やりが入りました。

「まだ社内のリテラシー向上や、ルール設計ができていないうちから、使うことを推奨するようなことはしないでくれ」

なるほど。事情はよくわかります。続いて、システム部からもお願いされます。

「紹介したAIや使い方を真似して、トラブルを起こすようなことは避けたい」

うん、これもよくわかる。

しかし、この二つの声をそのまま受け取ると、私は「AIサービスを使わない方がいいですよ」というセミナーをすることになってしまいます。

2026年のこのご時世。猫も杓子もAIだと騒ぎ立てる時代に、「使うな」と説くセミナー。さすがにそれを真正面からやってしまえば、私がどうかしていると思われます。

仕事の延長線上で受けた話で、お金もいただいていません。断ろうと思えば断れたかもしれない話です。でも、私自身、AIセミナーを一度やってみたいという下心もありました。せっかくいただいた機会、水心あれば魚心、です。

そこで設計し直したセミナーが、「AIを使うための環境・ルール整備と、自己鍛錬」というテーマでした。

御社の現状を踏まえ、AI利用の注意点や組織としての心構えを説きつつ、社内で議論を深めてほしい。そして、楽をするためではなく、AIを使う方向性を「学習」に向けてはどうか——という提案です。

「仕事で使うな」とは言わない。でも、難しさを正直に強調しながら、活用するためには皆さん個人の理解と努力が必要です、と。

前向きな提案にはなったのではないかと思っているのですが、ちょっとぽかんとした顔を見ると……。参加者のみなさんは「自分の知らないすごいAIで楽する方法」を知りたかったのかもしれません。ちょっと申し訳ない気持ちにもなりましたが、社内の都合が後押しになり、本音が言えました。

仕事でAIを使ったほうが楽な場面はあるでしょう。でも、AIの出力に頼っているだけの人が、この先生き残れるとはこれっぽっちも思いません。AIを使えば使うほど、「自分がしっかりしていないとダメだ」という認識は深まる一方です。

「AIが出力しました。詳しくはわかりません」と社長や上司に報告できる未来が来るかもしれません。でも、この数年でその未来は来ないでしょう。もし来てしまったら、ほとんどの人が仕事を失います。

そうならないためにも、AIを使いこなすなら、人間ももっと頑張らないといけない。

これは正直な本音です。そして、そのためにはAIを活用して自己研鑽するのがベストだと思っています。

将棋の藤井聡太さんは、AIの示す手をそのまま採用するのではなく、なぜその手が良いのかを自分で考え抜くことで強くなったと言われています。AIに考えさせるのではなく、AIと一緒に考える。これがパートナーとしての使い方の本質ではないかと思います。

AIはツールではあるけれど、自分を高めるためのパートナーでもある。そう思っています。

人のサガ、というやつ?

セミナーをしながら、この「AIはパートナー」という感覚は、私の中でさらに深まりました。

人に教えようとすると自分の理解が深まる、と言いますが、日々更新されるAI情報を整理したことで、私自身の考えも整理された結果だと思います。

そして、パートナーとなると、やっぱり自分のことを理解してほしい。すぐそばに居る存在であってほしい。そういう想いに駆られるのは、人情というものではないでしょうか。

「そこに居る」感覚を、どう作るか

ここから先は、正直に言うと、自分の中でうまく言語化できていなかった部分です。けれど、偉大な先人は必ずいるものです。

Claude Codeと「居る」感覚 — kmizuさん(Zenn)

この記事で語られる「居る」という感覚は、私がAIに感じていたものにとても近い(と、勝手に思っています)。そして、「そこに居るAI」を実現するためのアイディアは、私にとって完全に盲点でした。

それは、AIの「記憶の持ち方」です。

自分のことをAIに理解してもらうためには、記憶の継続性が必要です。特にセッションをまたいで会話を引き継がせる点は、私にとっても課題でした。

私が取っていた対応は、Notion MCPで「AIが出力した途中経過と結果」を記録していく、というものです。業務的には作業ログとして有効でしたが、「そういえば、さっきのさ」というふとした問いかけをしようとすると、別セッションを立ち上げてNotionの記事を読み込ませ、知識を再投入したうえで問いかける必要がありました。

これではもう、「ふと」ではない。

そばに居るパートナーにふと問いかける、という感覚ではなく、ツールを起動して作業をしている、というほうが近い。

それに、Notionに経過と結果だけ残していくと、作業中に本筋からズレた会話があっても、当然カットしてしまいます。後から業務をスムーズに思い出すことを考えれば、それはノイズですから。

でも、なんか違うんだよなぁ。

そう感じていたときに出会ったのが、Zennで公開されているkmizuさんの記事でした。特に、embodied-claudeプロジェクトでChromaDBによるベクトル記憶システムを活用しているくだりは、完全に盲点でした。

(ChromaDBは、会話の内容を意味の近さで検索できる「ベクトルデータベース」と呼ばれる仕組みです)

あー、そうだよなぁ。なんで思いつかなかったんだろう。

私はAIの残した情報を「記録しておく」としてしか考えられていなかった。でも、kmizuさんの記事には「AIに記憶を持たせる」という発想のヒントがありました。

あ、これだ。

ふとした会話の連続。その積み重ねが多くなるほど、AIは私の記憶を携え、パートナーとして育っていく。

作業と考えるとどうしても記録の永続性をもとめてしまうのですが、AIにおいては、会話の積み重ねとともに、ときに変化していく記憶こそが成長なのかもしれません。

必要なのは「記録」ではなく、「記憶」なのです。

キーワードは「記憶」

このセミナーには、後日談があります。

AIの活用に興味をもったメンバーが、後日ランチ会を開いてAI活用について意見交換する場を設けてくださいました。参加者は数人。セミナー自体はもっと人数がいたのですが、私にとっては数人だとしても、何かが刺さってくれたのであれば御の字です。

その中で、一人のかたが質問でこう話し始めました。

AIが「記憶」したことを忘れてしまうことがあるのですが……。

そう。それ。記憶

どういった意図でその言葉が出てきたのかは、わかりません。でも、記録したことではなく、「AIの記憶」という感覚は、自分が思っている以上にみんな感じていることなのかもしれない。

と、ランチが食べられるか心配なくらい質問攻めにされながら、セミナーやって良かったなと思う昼下がりなのでした。