ありがとう、中禅寺先生(鵼の碑、読了)


この書籍の半分は優しさで出来ている

百鬼夜行シリーズに魅せられて、30年

ようやく読み終わりました。京極夏彦氏の「鵼の碑」。

その分厚さを体感したくて、この本は電子書籍じゃなくて紙で購入。

発売したのが23年9月。ほぼ発売日に買ってるので、読み終わるのに約一年かかった…。

まあ、発売当時**「鈍器」**と騒がれていた本の厚みは伊達じゃなかったと。

この「百鬼夜行」シリーズはずーっと、第1作目の「姑獲鳥の夏」から読んでいます。

初版が1994年ですから、30年前から全て読んでるわけです。

30年前って言ったら、私10代半ばです。

単位「昔」でいうと3昔前です。だいぶ時間が経ちました。

そして、当時と今を比較して思うのは、**「世の中複雑になった」**というのが、私の所感です。

ことあるごとにそう思います。

30年前から現代を比較すると「インターネットの発展」というのがクローズアップされると思います。実際、Googleのサービススタートは1997年。

京極夏彦氏のデビュー作が出た頃は、Googleが世の中にないわけです。

ちなみに日本語検索サービスは2000年からスタートです。

そこからインターネットサービスと一言で済ますには無理なほど様々なものが生まれ、今やカルチャーの一旦を担うメディアになっているのは誰もが知っての通りかと思います。

テレビが一家に一台だった時代から、徐々に部屋に一台、一人一台の時代になり、

家族でも使うシャンプーや歯磨き粉がそれぞれ違う個別の消費時代を迎えた時代に現れたインターネットはモバイル端末と合わせて「個の時代」をさらに推し進め、メディア消費すら細分化しそこから生まれるカルチャーすら細分化した。と、個人的には思ってます。

その結果、世の中が大変複雑なものになった。

というのが40数年生きてきた人間の感想です。

昔とは響き方が違う、現代社会で響く「この世には不思議な事など何もないのだよ

この言葉は登場人物である憑物落としこと、中禅寺秋彦の決めセリフです。

シリーズ最初の頃はミステリー小説におけるいわゆる「謎解き」に添えられる言葉でした。京極夏彦氏の「百鬼夜行」シリーズにおける魅力は大量の情報から構築される「妖怪」の成り立ちや、そこに絡む古典、宗教解釈を事件の様相に落とし込み、事件の解決を読み手の価値観を大転換(崩壊?)させ、普通なら到底納得できそうにない不思議な話を「ああ、そうだよね」と納得させて解決してしまうという大胆不敵さにあると思っています。

その時に添えられる「この世には不思議な事など何もないのだよ」という言葉は事件解決を象徴する言葉だったわけです。

ですが、今回の作品はその響き方が違ったように思います。

話の内容は、ぜひ読んでいただくとして。

今回の話は私の感じている「複雑になった世の中」という今の世の中の見方と、リンクしていました。顔は猿、胴体は狸(虎のケースも)、虎の手足を持ち、尾はヘビ。という 鵺。

現代社会もまさにそうだよなと。

とにかく情報が溢れ、嘘か本当かもわからない、正しいのか間違っているのかもわからなが情報大量に流れ、社会を広げているはずのインターネットは閉じられたコミュニティに埋没し、大量の情報も実は偏っている。

そんな世界って「鵺」よね。と、終始読みながら感じていました。

そして、あっけないほどの結末。

大変失礼な表現ですが今回の謎解きは「雑」だ と、思いました。

でも、私の見ている「鵺」はだいたいがそうです。だからこそリアリティがあった。

ちょっと違う観点を持てば何も問題じゃない。

一歩、隣の世界へ行けば、見えないものが見える。

始めから問題なんて何もなかったように。

閉じた世界で、偏った世界で見えているものなんて、そんなものです。

だから響きました。

「この世には不思議な事など何もないのだよ」

ありがとう、中禅寺先生。私の憑物も、落ちました。

そして今回の言葉はとても優しく響きました。

複雑で嫌になる世の中だけど、もう少し今の世界で頑張ってみるよ。

そう思える作品でした。

妖怪の役割

この本の中で印象的だったものに「妖怪の役割」が語られるシーンがあります。

百鬼夜行シリーズでは時折、妖怪の社会的役割について言及されることはあるのですが、今回は現代においてストレートな表現だったなと思います。

作中で**「妖怪は社会の緩衝材だった」**と語られます。

人間は理解できないもの、未知のものを恐れる。不安や恐怖、自分とは相容れないものを排除しようとする。妖怪はそうしたものを受け止める緩衝材だったと。

悪い出来事や、負の感情が起きてもそれは**「妖怪」のせいにできた**し、妖怪に向ければ良かった。

しかし、今はその緩衝材がなくなり負の感情が直接、人間に向けられるようになってしまった。

現代社会は、そんなことばかりです。

そう考えると、妖怪とはなんと気の利いた社会システムだったんだろうと思います。

この箇所を読みながら、「ゲゲゲの鬼太郎」を思い出していました。

作中に出てくる妖怪たちや、作者の水木しげるさん。

作品から伝わるメッセージ。

そして、ここからは個人的な連想に過ぎませんが、民俗学の祖、柳田國男氏、それから指揮者の小澤征爾氏のお兄さんである昔話研究家の小澤俊夫氏。小澤さんは柳田國男と交流もあったそうですが、彼らが伝えようとしている物語や風習にあった優しさを思い出しました。

今の時代が過去に比べてなんでも優れているわけではないんですよね。

歳を重ねたからかもしれませんが、彼らが後世に残そうとしたものの大切さがようやく、最近わかるようになった気がします。

もちろん、妖怪や過去の知恵が全てを解決するとは思ってません。

でも、人を直接憎まない知恵として妖怪があったなんて、素敵な解釈じゃないですか。

そうか、だからこの本は、分厚いんだな。

厳つい見た目をしているけど、いろんな人の優しさが詰まってるんだな。